はじめに
霊(たましひ;プシュケー)すなわち、"わたし"ヤハウェ(独一の救いと恵みの御霊(みたま))の御分霊(わけみたま)の救いを求める"あなた"へ。
人(アダム(イシュー(男)とイシャー(女))は、“わたし”ヤハウェ・エロヒム(惟一(ゆいいち)の裁きと救いの存在、独一(どくいつ)の創造者にして支配者)の肖像(オミオシス・イコン)で在る。ヤハウェ・エロヒムの像(צלמ;ツァルメ;εικονα;イコン)たる聖なる「像へその型へ器へ、肖(דמות;ドムテ;ομοιωσιν;オミオシス)が流れ入り、永遠に流れ続け、永遠に神°成(しんせい;テオーシス; 至聖三者のヤハウェ・エロヒムの生命の内に一致・結合する)されていくので在る。
しかし、人の堕落すなわち、“わたし”ヤハウェ・エロヒム(惟一(ゆいいち)の裁きと救いの存在、独一(どくいつ)の創造者にして支配者)からの叛離から、生命(ㇰハイィム;חיים;ゾーエ;ζωή)からの離叛から、その生命の息吹(ニシュマト;נשמת;プネウマ;πνεῦμα)からすなわちそれは、肖から離叛してしまい、もはや、生命の息吹が肖が流れ込むことなく、その御霊(みたま)の息吹で活きる御分霊(わけみたま)は、生命が枯れ果ててしまった。
だからして、"わたし"ヤハウェ・エロヒムは。ヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主イエス・キリスト)として、十字架の死の贖いの完全勝利と復活の永遠の生命の完全証明により、死をもって死を滅ぼし、墓(死)にある"あなた"に生命を賜うたのである。
よろしく、この十字架と復活ん與かり、再び、“わたし”ヤハウェ・エロヒム(惟一(ゆいいち)の裁きと救いの存在、独一(どくいつ)の創造者にして支配者)の肖像(オミオシス・イコン)たる姿を取り戻さなければならないので在る。成聖(Αγιασμός;アギアズモス;ヤハウェ・エロヒムとの繋がりを回復する)され、再び、神°成(しんせい;テオーシス;ヤハウェ・エロヒムに肖た者とされ続ける)続けられなければならないので在る。
だから、この聖書を読み続け、救いの御名を求め、憐れみを乞い願い、絶えず祈り続けてください。
「
ヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主・イエス・キリスト)、我を憐れみ給へ!
ヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主・イエス・キリスト)、我を憐れみ給へ!
ヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主・イエス・キリスト)、我を憐れみ給へ!
」と!
祈り続けてください。
アーメン
"あなた"は、本聖書を読むうちに、惟一(ゆいいち)の存在、独一(どくいつ)の創造者で在る"わたし"ヤハウェ・エロヒムすなわちヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主イエス・キリスト)に、吸い込まれいくでしょう。なぜなら、"あなた"は"あなた"の霊(たましひ;ネーフェシュ;プシュケー)の救いを求めていたからです。あなたの霊(たましひ;プシュケー)は、"わたし"ヤハウェの御霊(みたま)の息吹の御分霊(わけみたま)だからです。"あなた"は、"わたし"ヤハウェ(独一の救いと裁きの存在)へと溶け入り、使徒の云わせたように、「刻々と、肉(にく;サルクス)の私がなくなり、メシアハ(キリスト)の"わたし"が光栄ますように」と成り、永遠に神°成(しんせい;テオーシス; 至聖三者のヤハウェ・エロヒムの生命の内に一致・結合する)され続けていくからです。私がなくなり"わたし"へと栄光により栄光へと神°成され続けていくのです。
何故ならば、人は、"わたし"ヤハウェ・エロヒムの肖(דמות;ドムテ;ομοιωσιν;オミオシス;ヤハウェ・エロヒムに肖た者)と、
像(צלמ;ツァルメ;εικονα;イコン;ヤハウェ・エロヒムの肖姿へと向かう型)に創造された者で在り、
それは、生命(ㇰハイィム;חיים;ゾーエ;ζωή)すなわち御霊(みたま)の
息吹(ニシュマト;נשמת)すなわち神°(しん;プネウマ;πνεῦμα)を吹き込まれた
霊(たましひ;(ネーフェシュ;נפש; プシュケー;ψυχή)すなわち御分霊(わけみたま)で活きる者で在り、
"あなた"は、"わたし"ヤハウェ・エロヒムの肖像で在り、神°霊で在り、息吹と御分霊(わけみたま)なのです。
その肖像、息吹と御分霊(わけみたま)の本来の姿の回復こそが、霊(たましひ;プシュケー)の救い御分霊(わけみたま)の救いなのです。
すなわち、この聖書を読みすすめ、イエスの祈りを絶え間なく、「ヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主・イエス・キリスト)、我を憐れみ給へ」と祈り続け、惟一(ゆいいち)の裁きと救いの存在、独一(どくいつ)の創造者にして支配者の"わたし"ヤハウェ・エロヒムとの一致合一で在り、”あなた”の私が衰えなくなり、"わたし"ヤハウェ・エロヒムすなわちヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主イエス・キリスト)を、心臓の奥底(御分霊(わけみたま))で活きる(ㇰハヤー;חיה)ことなのです。
"あなた"個人の霊(たましひ;プシュケー)の救いとは、同刻に、全人類の霊(たましひ;プシュケー)すなわち御分霊(わけみたま)の救いで在ります。ぜななら、すべては、"わたし"ヤハウェ・エロヒムの身体(σωμα;ソーマ)であり(ローマの信徒への手紙 12章4-5節、コリントの信徒への手紙一 12章12-27節、エフェソの信徒への手紙 4章4-6節、15-16節)、ソーマとは、 肉(にく;サルクス)の体と心(思考・感情;ヌース)ではなく、聖エロヒム°(せいしん;アギオン・プネウマ)すなわち"わたし"ヤハウェ・エロヒムの御霊(みたま)、その御霊(みたま)の息吹(ニシュマト)で在る全人類のエロヒム°(しん;プネウマ)、その息吹が留まった全人類の霊(たましひ;プシュケー)すべてを含んでいるからです。
(参照;『ヤハウェの創世記: 愛と感謝の祝福の聖書物』)
ですから、古来より、義人、聖人、聖師父は、言ったのです。
「御分霊(わけみたま)が救われしは、全人類の御分霊(わけみたま)が救われる。それ即ち、もはや、私は私でなく、メシアハが”わたし"の衷(うち)に生き、全人類の御分霊(わけみたま)が"わたし"の御分霊(わけみたま)即ち畏れ多くも御霊(みたま)だからで在る。アミン(アーメン)。」
(参照;主イエス・キリスト、我を憐れみ給へ;巡礼者に長老が語ったフィロカリアの抜粋と要約: 主イエス・キリストの憐れみと聖霊の働きによりフィロカリアのギリシャ語原典とロシア語原文から抜粋要訳)
惟一(ゆいいち)の存在、独一(どくいつ)の創造者、"わたし"ヤハウェ・エロヒムが"あなた"へ物語る"あなた"の霊(たましひ;プシュケー)の救い、御分霊(わけみたま)救い、"わたし"ヤハウェ・エロヒムの御霊(みたま)から與かった御分霊(わけみたま)の救いの書へようこそ!
"あなた"は、この書を読んでいる間に、読み進めていく衷(うち)に、"わたし"とな何なのか?、惟一(ゆいいち)の存在にして、獨一(どくいつ)の創造者、支配者、言い換えれば、至高者とは、何か?、モーセに、そして、新しい約束で、高らかに宣言した「אהיה אשר אהיה アフイェー アシェル アフイェー "わたし"は在る"わたし"で在る、 εγω ειμι エゴー エイミー "わたし"は在る"わたし"で在る。」に出入りし、出入りするために、よりいっそう、エロヒム°成(しんせい;テオーシス; 至聖三者のエロヒムの生命の内に一致・結合する)されていくのです。
個人の私、この滅びる死せる運命に決定ずけられた私から、至高者の"わたし"ヤハウェ・エロヒムの招きに入り込んで、あなたは、肉のアナタから、霊(たましひ;プシュケー)の"あなた"へと遷移し、さらに、エロヒム°(しん;プネウマ)へと聖エロヒム°(せいしん;アギオン・プネウマ)へとエロヒム°成(しんせい;テオーシス)されていく、自分自身に驚き喜び踊るのです。
(参照;『イエスの祈り 遥かなる今此処に在る静寂の青き山: 主・イエス・キリスト、我を憐れみ給へ! イエスの祈りに依る見えない戦争の>勝利』)
使徒が述べたように、
「日々、私が死に滅びゆき、メシアハ(キリスト)が光栄ますように」
その喜びに與かるのです。
(参照;『エロヒムの昇天の階段: 天国へ至る道』)
アーメン、ハレル・ヤハウェ!
召された"あなた"は、この"わたし"ヤハウェ・エロヒムが第一人書で物語る聖なる書巻(聖書)を読み進める衷(うち)に、
"わたし"ヤハウェ・エロヒムと、物語の聖別された主要人物のわたし、"わたし"とわたし、そして、"あなた"が、次第に神°成(しんせい;テオーシス; 至聖三者のヤハウェ・エロヒムの生命の内に一致・結合する)され続けていくのが如実にわかります。
祈りながら、読むと。
「
ヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主・イエス・キリスト)、我を憐れみ給へ!
ヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主・イエス・キリスト)、我を憐れみ給へ!
ヤハウェ・ヤハシュア・メシアハ(主・イエス・キリスト)、我を憐れみ給へ!
」と。
救いの御名を求め、憐れみを乞い願い、絶えず祈り続けて読み進めていくと。
祈り続けてください。読み続けてください。
"あなた"は召された者から選ばれた者へと(「召される者は多いが、選ばれる者は少ない。」(マタイ;22:14))、
"あなた"は、"わたし"ヤハウェ・エロヒムに依り頼み、成聖(アギアズモス;"わたし"ヤハウェ・エロヒムとの繋がりを回復する)され続け、神°成(しんせい;テオーシス; 至聖三者のヤハウェ・エロヒムの生命の内に一致・結合する)され続けているのが如実にわかります。
"あなた"の心臓の奥底(御分霊(わけみたま))で。
"わたし"ヤハウェ・エロヒムの生命(ㇰハイィム;חיים)の息吹(ニシュマト;נשמת)で、”あなた”の心臓の奥底(御分霊(わけみたま);ネーフェシュ;נפש) で、生きているのがわかります。その救いの御業を見て、”あなた”の御分霊(わけみたま)は、歓喜し喜び踊り上がるのです。
アーメン、ハレル・ヤハウェ!
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