フィロカリア全巻:第1巻 内的な目覚め・慎しみの修行をする人々:第1章 聖大アントニオス (2026/08/15 03:07)
フィロカリア:全巻,1巻,2巻,3巻,4巻,5巻
そしてあらゆる悪しき快楽を罠として憎むべきです。
10 霊(たましひ;プシュケー)において未熟で徳を持たぬ富める者や高貴な者は、物事を正しく判断する人々からは不幸な者と見なされます。
これに対し、階級において貧しく奴隷であっても、霊(たましひ;プシュケー)の耕しをもち徳で飾られているなら、その者は幸いです。
ちょうど異郷の地で道を失う旅人のように、徳を顧みない人々は、悪しき欲望に引きずられてさまよい、ついには滅びに至るのです。
11 人々の性質を和らげ、彼らに教えを愛させ、霊(たましひ;プシュケー)の教育を施せる人は「人間を形づくる者」と呼ばれるべきです。
同じように、肉的な快楽に沈んでいる人々を徳に満ち神に喜ばれる生へと導く人々もまた「人間を形づくる者」と呼ばれるべきです。
彼らは人々を造り直しているからです。
なぜなら、柔和と節制は幸福であり、人々の霊(たましひ;プシュケー)に良き希望を与えるからです。
12 本当に、人々は自らの性質を正しく養い、正しく生きるよう心がけるべきです。
これを成し遂げたとき、彼らは容易に神のことを知ることができるのです。
なぜなら、全身の心臓の奥底(すなわち霊(たましひ;プシュケー))と信仰をもって神を畏れる人は、神の助けを得て、自らの怒りと欲望を抑えるからです。
すべての悪の原因は、欲望と怒りだからです。
13 人とは、自らの理知を正しく用いる者、または自らを正すために助言を受け入れる者のことを言います。
自らを正すことをしない者は、人とは呼ばれず、非人間(ひにんげん)と呼ばれます。
そしてこれが非人間の特徴です。
そしてそのような人々は避けるべきです。
なぜなら、悪と共に生きる者たちは、不死の生命を得ることができないからです。
14 私たちが自らの理知を正しく用いるとき、はじめて人と呼ばれるにふさわしいのです。
反対に、理知を正しく用いないなら、私たちはただ体と声において、理知を持たぬ獣と異なるだけです。
ゆえに、思慮ある人は、自らが不死であることを悟り、すべての恥ずべき欲望を憎むべきです。
始まりのための終わりの時代だからこそ、
読書と祈りで、
自分自身と神との関係を見つめ直してみませんか。
フィロカリア 神の徳(アレテ;神への帰還) を 愛する者たちの書 第1巻: 聖なる目覚めの人々(内的な目覚め・慎しみの修道者たち)
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神は愛なり、愛は祈りなり、
神は愛と祈りと伴にあなたにあり。
Blessing : Art of Love and Benediction : 祝福:愛と感謝の祈りのアート
そしてあらゆる悪しき快楽を罠として憎むべきです。
10 霊(たましひ;プシュケー)において未熟で徳を持たぬ富める者や高貴な者は、物事を正しく判断する人々からは不幸な者と見なされます。
これに対し、階級において貧しく奴隷であっても、霊(たましひ;プシュケー)の耕しをもち徳で飾られているなら、その者は幸いです。
ちょうど異郷の地で道を失う旅人のように、徳を顧みない人々は、悪しき欲望に引きずられてさまよい、ついには滅びに至るのです。
11 人々の性質を和らげ、彼らに教えを愛させ、霊(たましひ;プシュケー)の教育を施せる人は「人間を形づくる者」と呼ばれるべきです。
同じように、肉的な快楽に沈んでいる人々を徳に満ち神に喜ばれる生へと導く人々もまた「人間を形づくる者」と呼ばれるべきです。
彼らは人々を造り直しているからです。
なぜなら、柔和と節制は幸福であり、人々の霊(たましひ;プシュケー)に良き希望を与えるからです。
12 本当に、人々は自らの性質を正しく養い、正しく生きるよう心がけるべきです。
これを成し遂げたとき、彼らは容易に神のことを知ることができるのです。
なぜなら、全身の心臓の奥底(すなわち霊(たましひ;プシュケー))と信仰をもって神を畏れる人は、神の助けを得て、自らの怒りと欲望を抑えるからです。
すべての悪の原因は、欲望と怒りだからです。
13 人とは、自らの理知を正しく用いる者、または自らを正すために助言を受け入れる者のことを言います。
自らを正すことをしない者は、人とは呼ばれず、非人間(ひにんげん)と呼ばれます。
そしてこれが非人間の特徴です。
そしてそのような人々は避けるべきです。
なぜなら、悪と共に生きる者たちは、不死の生命を得ることができないからです。
14 私たちが自らの理知を正しく用いるとき、はじめて人と呼ばれるにふさわしいのです。
反対に、理知を正しく用いないなら、私たちはただ体と声において、理知を持たぬ獣と異なるだけです。
ゆえに、思慮ある人は、自らが不死であることを悟り、すべての恥ずべき欲望を憎むべきです。
始まりのための終わりの時代だからこそ、
読書と祈りで、
自分自身と神との関係を見つめ直してみませんか。
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神は愛と祈りと伴にあなたにあり。
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