第1巻:創世記: בראשית (ベレシート):初めに;ヤハウェの創世記

つまり、ヤハウェ・エロヒムの御言の『絶対に死ぬ』を、『死なないように』と、さらに『絶対に死にません。
』と、ナハシュは順を追って悪逆にしていきました。
これが、悪魔のやり口です。
5「なぜなら、エロヒムは、知っています。
”あなたたち”がそれを食べた日には、”あなたたち”の両目が開かれ、あなたがたはエロヒムのようになり、善悪を判断することを。
」。
すなわち、ナハシュが、"わたし"ヤハウェ・エロヒムのことを『エロヒムのようになる』と言ったのは、ヤハウェの御名を付けずにヤハウェを、他のエロヒムたちと同じに扱い貶め、イシャーすなわち女に同意させるためです。
なにより、『ようになる』といったのは、聖書にあるように、ナハシュ自身が三分の一のエロヒムを唆し、ヤハウェ・エロヒムの王座を狙うも、一息で撃ち落とされたためです。
諦めきれない自分の欲望を露わにしたのです。
ナハシュの思考・感情攻撃により、イシャーの自己高揚の妄想と誇りの昂りは、イシャーを酔わせ歪んだ欲望によって、彼女たちの創造者であり結一の主人、祝福し、永遠の命、健康、幸福、繁栄、あらゆる恵みを贈ってくださる"わたし"ヤハウェ・エロヒムから乖離してしまいました。
後に聖書にあるように、善悪の知識の木、すなわち善悪をヤハウェの意図なしで自己判断する木の実をすでに選んでいたのです。
それは、幾多の天と地を創造し、永遠に動かされて支配されている御方のもとを離れて、小さな自分の肉の心(思考・感情)だけでこの地と天を思うがままに支配していくという愚かな選択でした。
否、自分の肉の心(思考・感情)で生きていくのですらありません。
それは、すでに、ナハシュとそれに隷属している叛逆のエロヒムすなわち悪魔たちと、アダム以前の地の民である悪魔たちに隷属している肉体を失って情念(思考・感情)だけで彷徨っている叛逆の民シェディームすなわち悪霊たちに、隷属させられて、ヤハウェへの叛逆の道を選ばさせられたのです。
"わたし"ヤハウェの豊かな幸福の祝福を受け入れて、『”あなた”は大いに好きなだけ食べなさい』のあらゆる自由のある人生を生きるか、ヤハウェへの叛逆者の思考・感情を受け入れ、奴隷とされ、貧困の奴隷として生きるかです。
それは、ヤハウェの永遠の御霊に繋がった生命の木か、ヤハウェの永遠の御霊から切り離された『絶対に必ず死ぬ』善悪の自己判断の木か、アダムたちに課せられた試練は、今も”あなたたち”に提示されています。
後に"わたし"ヤハウェ・ヤハシュア・メシアハの十字架の完成により、新たに生まれ新・新創造されたヤハウェ・ヤハシュア・メシアハの者、すなわちクリスチャンは、御霊の働きにより、悪魔からの自己高揚の妄想と誇りの昂りの情念(思考・感情そして妄想)の打ち込み攻撃は、ことごとく跳ね除け、逆に御霊の働きにより、悪魔・悪霊を打ち砕きます。
アダムと、後に、十字架に新・新創造された者との違いは、アダムは御霊から御分霊を肉の体と心(思考・感情)の奥に吹き込まれ、留まって生きていたのですが、"わたし"ヤハウェの憐れみにより、十字架を受け取らせていただいた者は、御霊そのものの中に入って居て、御霊そのものが入って居てくださることです。
ヤハウェの憐れみにより、ヤハウェの御霊と一つなのです。
(筆記者注:これは、ヤハウェの十字架の完全に完成された御業によるものであり、私たちは、何の働きもせず、何の価値もなく、結一ヤハウェの憐れみと恵により、ヤハウェの十字架の勝利の中に私は入れて居ただき、私の中にヤハウェの勝利の十字架が入って居てくださいます。

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